救急救命士の訴訟問題。この言葉を耳にすると他人事のように感じる方も多いと思います。
しかし、残念ながら今後は確実に救急救命士に対する訴訟は増加してくるのです。
人の命を救うために全力を尽くしてきたのに、1回のミスで救急救命士としてのキャリアが絶たれる。
そんな状況を防ぐため救急救命士は救急活動に潜むリスクを正しく認識し、プロとして自分の身を守る必要があります。
訴訟問題で大切なことは紛争を起こさせないこと、そして訴訟に備えることです。
この記事では救急救命士の訴訟問題とその対策について詳しくご紹介します。
・救急救命士の訴訟問題とは
・訴訟問題を回避する方法
・救急救命士エピソード紹介

こんにちは。民間救急救命士歴15年、元消防士のKIDです。
救急救命士の訴訟問題。
先日、紛争予防法学の大家である橋本雄太郎先生の講演を聴講してきました。
1つとして同じもののない救急現場には訴訟のリスクが多く存在しています。
この記事が皆さんのヒントとなり訴訟というリスクを少しでも下げることに繋がれば幸いです。
目次

救急救命士の訴訟問題とは簡単に言うと、搬送した傷病者またはその家族等の関係者に訴えられてしまうことです。
消防の業務として無償で行っている救急搬送で訴えられるなんてあり得ない。
公務員は個人で訴えられることがないので自治体が守ってくれる。
そんな風に思うかも知れません。でも訴訟はある日突然やってきます。
その時、適切な準備ができていなければ正当性を証明できず裁判で負けてしまう。
残念ながらこれが現実なのです。
・救急救命士の判断ミスで搬送が遅れた事例
・傷病者搬送時にベルトを掛け忘れ落下させてしまった事例
・家族の望まない特定行為の過剰実施で現場滞在時間が長時間にわたった事例

具合が悪いときや怪我をした時に助けてくれる救命士さんを訴える?
なんでそんなことしちゃうのか想像がつかないよ。

助けてくれた人を訴えるなんて倫理的にはおかしい感じがするよね。
でも、病気や怪我で大切な家族が亡くなったり、回復不能な障害を負ってしまった場合、
家族はその原因を追求する。その矛先が救急救命士に向かうリスクはゼロではないんだ。
これから発生する救急救命士の訴訟リスク
今後、救急救命士の訴訟リスクが大きくなる原因の1つは、弁護士資格者の増加が挙げられます。
2020年の日本弁護士連合会の統計によると、登録されている弁護士数は42164人です。
2002年に法科大学院が開校されたことや、司法試験の見直しで近年は資格者が大幅に増加しています。

弁護士数の急激な増加と少子高齢化。これが合わさることで弁護士は今までのような仕事獲得が難しくなります。
そうなるとどのようなことが起こるでしょう?
訴訟大国であるアメリカの弁護士数は約110万人、人口の差を考えたとしても割合は日本の比ではありませんね。
職業として飽和状態で仕事がないアメリカの弁護士が目を付けたのが救急搬送なのです。
Ambulance Chaserとは

Ambulance Chaserとは直訳すると「救急車を追いかけること」です。
救急車を追いかけ患者や家族に会って、加害者に対する損害賠償を持ちかけ報酬を得ようとする弁護士。
アメリカではこのような弁護士を非難する蔑称として「Ambulance Chaser」という言葉が使われています。
救急車の追跡は、被災地でクライアントを勧誘する弁護士を指す用語です。「救急車追跡」という用語は、救急車を追って救急治療室に行き、顧客を見つけるというステレオタイプの弁護士に由来します。「救急車チェイサー」は、人身傷害弁護士の蔑称として使用されます。
Wikipediaより引用
今後は日本でも弁護士の急増や少子高齢化に伴う案件の減少により、Ambulance Chaserの増加が予想されています。
彼らの標的は交通事故の加害者にとどまらず救急隊や救急救命士にも向けられるのです。
訴訟の準備には通常半年程かかります。救急救命士として力の限り多くの傷病者を救うことに奮闘しているあなたの元に、ある日突然裁判所から身に覚えのない訴訟状が届く。
半年前の出来事で記憶が曖昧、詳しい活動記録もない事案で訴えられ裁判で敗訴する。これはもう悲劇でしかありませんね。

救急車を追いかける弁護士さんがいるんだね。
みんなを助けてくれる救命士さんを訴えるなんて許せないよ!!

残念なことだけどこれからAmbulance Chaserは確実に増えていく。
こんな状況にしないさせないためにも救命士は法律の知識を付けや今までの活動を見直す必要があるんだ。
病院前救急救命のプロとして、もしもの時には自分の身は自分で守らなくちゃいけないんだよね。

救急救命士に対する訴訟。
救急救命士として救急現場で働く以上、訴訟のリスクをゼロにすることはできません。
しかし、この事実を正しく理解し、対策を講じることができればリスクを下げることは可能です。
ここでは紛争予防の観点から3つのアプローチをご紹介します。
紛争の予防
家族や関係者による訴訟を防止するために一番重要なのは紛争を起こさせないことです。
紛争すなわち、傷病者や家族と揉めるような火種を作らないこと。
傷病者や家族の怒りが救急隊員に向くのは予後が悪かった時。この時、救急救命士の説明が不十分だったり態度が横柄だと訴訟のリスクが上がります。
救急救命士の研修所や学校で何度も耳にした「インフォームドコンセント」これが自分を守る最大の武器となるのです。
・接遇とアフターケア:相手に不信感を抱かせない基本的な礼節と搬送後の傷病者、家族へのケア
・活動中の声かけ:救急活動中の気遣いと声かけ。行う処置の説明や同意
・迅速な対応を心がける姿勢:迅速な処置と搬送、必要以上に現場滞在時間を遅延させない配慮
・活動基準・処置基準の遵守:プロトコールや各消防のルールに準じた活動
・地域住民への啓蒙活動:救命講習や防災訓練等での地域住民とのコミュニケーション
紛争の原因の多くは傷病者や家族とのコミュニケーション不足です。
助けてやっている、搬送してやっているという上から目線はトラブルの元。このような考えは改めなくてはなりません。
また、普段から救急救命士としての苦労などを地域住民に話しておくことも紛争防止に繋がります。
救命講習などで地域住民と接する際は積極的にコミュニケーションを取りましょう。それが巡り巡って自分の身を守ることに繋がるのです。

僕もたまにお友達とケンカしちゃうことがあるけど、しっかりお話しをするとすぐ仲直りできるよ。
救命士さんにもお話しする力が必要なんだね。

紛争防止には適切な救急活動をすることはもちろんだけど、傷病者や家族を思いやる双方向性のコミュニケーションが大切。
救命士と傷病者や家族。その瞬間の立場は違うけど人と人だっていうことを忘れちゃいけないね。
訴訟に備える

もし訴訟されてしまっても準備さえしっかりしていれば過剰に恐れる必要はありません。
裁判になった際、自分の潔白さを証明するエビデンス(根拠)を準備しておくことが大切です。
「プロの常識は素人の非常識」なんて言葉もあるとおり、救急救命士にとっては当たり前の救急出動は傷病者や家族にとっては人生で1度あるかどうかの重大事件なのです。
何が起こっても対応できるよう日頃から以下の点を意識しておきましょう。
・救急救命処置録、活動報告書への記録
・不搬送時の最大限の配慮と詳細記録
・DNAR時のルール化と遵守
訴訟はある日突然あなたの身に降りかかってきます。
法律で定められた救急救命処置録だけではなく、活動報告書に詳細を記録することにより自分の活動の正当性を証明する武器となるのです。
不搬送にした傷病者が後に急変した、DNARの意思表示のある心肺停止傷病者の対応。これらは救急救命士の頭を悩ませる非常に難しい問題です。
消防で定められたルールの遵守に加え、傷病者や家族に最大限の配慮とコミュニケーションをしっかりとって紛争を防止しましょう。

法的知識を付ける
救急救命士は厚生労働大臣から免許を受ける病院前救急医療の専門家です。
しかし、裁判になれば弁護士や裁判官といった法律家の土俵で勝負しなくてはいけません。
最低限の法律知識は身につける必要があります。
・医師法17条:医師でなくては医療行為はできない
・消防法:消防法における救急業務の主は搬送である
・救急救命士法:場所と処置内容を限定することで救急救命処置が可能
裁判官は過去の判例や法律に書かれた内容で有罪、無罪を判断します。
そういう意味では実施割合が全救急活動の1%程度の特定行為ミスよりも気を付けるべきものはやはり搬送。
事実、訴訟の多くは搬送時のミスや遅延で発生しているからです。
心肺停止は法的に死として解釈されるのでたとえ誤挿管があっても因果関係は証明できませんが、処置拡大項目には心肺停止前の輸液やブドウ糖投与などが含まれています。
両者では同じ特定行為であってもリスクがまるで違うことを意識しましょう。
これらの事実を理解して日々最新の知識を身につけ研鑽に励むことが救急救命士に求められます。

うわぁ、法律の問題って難しいな。
たくさん覚えることがあって頭がこんがらがっちゃったよ。

法律っていろんな解釈があるから難しいよね。
でも最低限ここは気をつけなければいけないポイントがあるから、
そこを理解しているとほとんどのトラブルは回避できるんだ。
橋本雄太朗先生の書籍やDVDで勉強することをオススメするよ!

消防救急隊は119番通報があればどんな現場でも出動します。
当然環境の整っていない現場も多く存在しており、その一つ一つが回避しなくてはならないリスクとなるのです。
今回は私の知人が実際に経験した重症傷病者のドクターヘリ要請、悪路の移動、ベルトの掛け忘れ。
それらの要因が重なって起きた訴訟の可能性もあった事例についてQ&A形式でご紹介します。
- どのような事例だったか??
- 50代男性が脚立から落ちて意識不明、そんな通報内容で救急隊3名で出動しました。現場は舗装されていない悪路で、直近まで救急車を近づけられなかったので、隊員2名でストレッチャーを押してなんとか傷病者の元にたどり着きました。観察の結果、重傷頭部外傷と判断しドクターヘリを要請することに。
初めてのドクターヘリ要請という焦りもあり、ここでストレッチャーのベルトを掛け忘れるというミスをしてしまったのです。
傷病者は非常に大柄で100キロ近い体重だったと思います。隊員2名で悪路を搬送する際、ストレッチャーが大きな石に弾んで傾きました。とっさに体を支えたのですが重量に耐えきれず傷病者が落下してしまいました。
- その後の対応は?
- すぐにストレッチャー上に引き上げ、傷病者の奥様を乗せて救急車でランデブーポイントに移動。ドクターヘリ医師に傷病者を引き継ぎました。
消防署に帰署してすぐに傷病者の関係者から救急隊のミスを責めるクレームの電話がありました。
消防長や署長が関係者に対しすぐに謝罪に向かいましたが、その場でもし予後が悪かった場合は訴えると通告されたそうです。
上司からの事情聴取、詳細な顛末書作成と同僚からの視線。
公務員の特性上、個人で訴えられることはなくても、傷病者や家族はもちろん多くの仲間に迷惑をかけてしまった事に対して本当に申し訳ない気持ちでした。
- 結末を教えてください。
- 幸い傷病者は一命を取り留め、医師から家族に対し病状変化の因果関係はないとの説明をしていただき訴えられることはありませんでしたが、もし傷病者の予後が悪ければ訴訟され私の救急救命士としてのキャリアも終わっていたことでしょう。
後から聞いた話ですが、救急車に同乗されていた奥様が必死に命を救おうとしてくれた救急隊を責めてはいけないと怒る関係者を説得してくれたそうです。
私の起こしてしまったヒューマンエラーは誰にでも起こりえることです。
救急救命士の仲間達が同じように辛い思いをすることがないよう今回の事例を教訓にしていただけると嬉しいです。

話を聞いていて怖くなっちゃったよ。
もし怪我した人が亡くなっていたら。想像したくないな・・・

今回のお話は救急隊員なら誰にでも起こりえることだよね。
緊迫した現場、大柄な傷病者、搬送困難な道、ベルトの掛け忘れ。
いろんな事が重なって起こってしまった事故。
今回の事例を聞いて救急現場は危険が一杯だということを再認識したよ。

・今後は救急救命士に対する訴訟問題は増加してくる
・紛争を防止するためにはしっかりした接遇と活動内容を詳細に記録に残すことが大切
・様々な状況が複雑に重なり合って訴訟の可能性がある大きなミスに発展する
今回は救急救命士の訴訟問題について記事を書かせていただきました。
救急現場で自分の持つ知識や技術を使って困っている人を助ける。救急救命士の仕事はやりがいがあり本当に素晴らしいと思います。
しかし、救急現場は魔物です。自分がどんなにベストを尽くしていても防ぐことのできない状況もあるでしょう。
そんな時、この記事の内容を実践できていたらきっとそれらがあなたを守ってくれます。
今回の記事が皆さんの救急救命士人生を守る一助になれれば幸いです。

救急救命士の訴訟問題。
これはすべての救命士が抱えるリスクです。
紛争を起こさせないこと、訴訟された場合に備え必要な記録を残すことの重要性がわかりましたね。
救急救命士の資格について詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。